高齢者の離婚,いわゆる熟年離婚の場合は,もっと若い夫婦の場合の様に,夫が悪いとか,妻が悪いというよりも,社会が変わってしまったことが原因であることがあります。つまり,夫が変わることができないうちに,社会の方が大きく変わってしまったことが夫婦間の亀裂の原因となっていることがあります。
昔の日本社会における夫と妻の役割
現在の高齢者が若かったころの日本の社会は,第二次世界大戦の戦中,戦後という時代です。夫は働いて家族を養う,妻は夫を支える,単純にはこういう役割分担でした。経済が悪かったので働いて生きていくこと自体が大変な時代でした。どの家庭もみな貧しかったので生きるだけで必死でした。また,とくに田舎ではまだまだ「家」という感覚が強かったため(戦前の古い民法には「家」の制度がありました),妻は夫の家に所属して夫の家のために働くことが求められていました。そういう時代には,夫はとりあえず働いていれば一人前であり文句は言われませんが,妻は仕事をすることが一般的ではなく専業主婦が多数はでしたから,夫やら姑やらに仕えることが求められ,それが当たり前でした(とくに田舎では)。
食べ物はなく,仕事はなく,住むところはなく,生きていくために必死で働くことが必要でした。昔は冷蔵庫も存在しなかったので買い物も毎日でした。家族を養って生きていくためには一生懸命働いて金を稼ぐしかありませんでした。夫も妻も必死で働くだけでした。
昭和20年代は戦後の世の中で貧しいながらに必死に働いていた,そこに昭和30年代の高度経済成長時代が続いたので, 今日仕事を頑張れば明日はもっと良くなるという期待が国民全体に広がっていました。大きな経済成長にも支えられて会社が定年まで従業員の面倒を良くみていましたから,会社の仕事を頑張ること=明日の家族の生活を良くすること=家族のためという共通認識が夫婦,家族の中にもありました。
そういう時代の夫は,会社の仕事を頑張ることが夫の任務であり,家庭は妻が守るものと信じています。夫が仕事で遅くなるのも,職場のつきあいで遅くなるのも,どちらも結局は家族の生活のためなのだから容認されました。夫は一生懸命働いていれば,それだけで夫としての責任は充分に果たしていたことになるのです。夫だけでなく妻もそのように考えていました。
日本社会における男女感の変化
しかし,そのうちに日本の社会が変わってしまいました。女性の地位の向上,男女同権の徹底などの社会の動きが家庭の中にも押し寄せてきました。それまでは会社のために一生懸命働いていればそれは家族のために努力していることになり,家の中では何もしなくても良かったのに,そうではなくなりました。
夫は仕事だけでなく家庭のことにも関心を持つべきであり,家庭は専業主婦の妻に任せ,家事も全て妻に任せているのではすまなくなりました。社会が変わり,男女の役割が平等化され,妻の認識も変わりましたが,変わらなかったのは夫だけでした。夫はそれまでは正しかった行動様式を繰り返し,妻からは白い目で見られるようになりました。
夫が家でえばっている,何も家事をしない,お金を出さない,このまま定年になって一日中一緒に暮らすのは嫌だし介護もしたくない,妻がそう思うようになると財産を分けて離婚したいと考え始めます。
夫が若いときに覚えた行動様式は当時は正しかったのですし,その行動様式にしたがったことにより会社でも社会でも成功したという成功体験があります。成功体験を180度ひっくり返すような変身をするのは大変難しいことです。しかも夫の周りの男性は夫と同じ考えの人が多いのです。実際にはこれはと思うようなひどい夫もいますが,中にはちょっと可哀相だと感じる場合もあります。平穏無事に人生を終えるには自分を変えなければならない場合もあるようです。社会の変化に付いていくことは若い人でも大変ですし,自分が年取ったときに自分を変えるのはさらに努力が必要です。しかし,家庭円満のためには年取っても努力するしかありません。奥様の不満に気がつく必要があります。
高齢の方の離婚事件の経験も多くありますのでお気軽にご相談ください。